障害者モータースポーツの第1人者 稲葉衛氏のご紹介

2018年5月、当会の会員であり、障害者モータースポーツの真の第1人者でいらっしゃる稲葉衛氏が逝去されました。

心からの哀悼とご冥福をお祈りし、ここに稲葉氏の輝かしい業績をご紹介させて頂きます。

 

現代において、多くの身障ドライバーがレースをはじめとするモータースポーツに、気軽に参加出来る時代になりましたが、

このような時代になったのは、先人たちの「サーキットを走りたい」と言う強い意志と、粘り強い活動があったおかげです。

私たちが2007年に初めて障害者モータースポーツ大会を開催した当時、障害者を走らせてくれるサーキットなどありませんでした。

もちろん、JAFライセンスの取得など許されない時代だったのです。

それが、今では誰でもチャレンジできるようになりました。

もし、私たちの前で人知れず取り組んでくれた先人がいなかったら、その役をあなたがしなければならなかったのです。

「あなたは、それが自分に出来ると思いますか?」

人生を投じて、なおかつ成功する見込みの無い、徒労に終わるかもしれない夢の実現を・・・

私たちの前に立って、その役を担って下さった一人が稲葉衛氏です。

彼は昭和53年、22歳の時にラリー練習中にコースアウトし、頚椎損傷の障害を負いました。

そして、3年間の入院生活の後、再びモータースポーツの世界で復活するために、HDCというクラブを設立、障害者のジムカーナ大会を大井競馬場の駐車場で開催しました。

この大会には健常者障害者双方が参加する形であったため、今のような障害者モータースポーツイベントと言うには無理があるのですが、

紛れも無く、障害者がモータースポーツに参加した、日本初の出来事であったことは間違いありません。。

その後、2006年にはアジアクロスカントリーラリーにチームラリーアートから参加。

また2009年には、勅使河原選手(日本初の障害者A級ライセンス取得者)とコンビを組んで、新潟県で開催された全日本ダート耐久に出場しました。

当会の活動にも積極的に協力して下さり、2007年から2012年までの第1期の間の全イベントに参加してくださる共に、多くの仲間を誘って下さいました。

稲葉衛氏こそ、わが国における障害者モータースポーツの第1人者であり、ここにその努力と実績に敬意を表すると共に、氏のご冥福をお祈りいたします。

稲葉衛氏の功績を私たちは忘れない。そして、次の世代へ。

なお、稲葉衛氏を2018年5月5日をもって、当会第1号となる「永久名誉会員」とさせて頂きました。

Paramo japan 会長 佐藤正樹

アジアクロスカントリーラリー参戦時のラリーアートWEBサイトでのレポート記事(ラリーアートWEBより転載))

 

全日本ダート耐久(新潟)出場時のラリーアートWEBサイトでのレポート記事(ラリーアートWEBより転載)

稲葉氏が出演したNHK教育 福祉ネットワークの動画です。