スペシャルインタビュー第1回

第1回 パラモジャパン会長 佐藤正樹さんです

*このインタビューは2022年12月に多摩ケーブルテレビで放映された番組の文字起こし版です。当会の耐久事業についてのインタビューです。大幅な編集と加筆がなされています。

司会者 

今回は身体障害者の方が自動車レースに出場したいという夢をかなえてあげた人をご紹介します。

日本障害者モータースポーツ協会の代表で、チームトヨタモビリティ神奈川ウィズパラモの監督、佐藤正樹さんです。

佐藤さん、この障害者モータースポーツ協会はいつごろから始まったのですか?

佐藤 

2007年からですからもう15年位経ちます。

司会者 

大変でしょうね。その、モータースポーツの世界って。

佐藤 

一般的にスポーツの世界は例えばオリンピックとパラリンピックのように健常者と障害者は別々に競技をしますが、

モータースポーツの世界はそのように切り分けるという事が行われないので、

僕らがレースに出る時は健常者の人たちと一緒に、つまり健常者の人たちの中に入ってレースをすることになりますので、出場するだけでも難しい面があります。

例えば障害のある人たちと一緒に走ることを、他の選手やチームが同意してくれることや、

レースの主催者が出場してよいと言ってくれるかなどの条件が必要なので、中々出場する機会を作るだけでも大変です。

司会者 

大変なことをされているのですね。ところで何がきっかけになって今のような活動を始めたのですか?

佐藤 

僕の仕事が、元々スポーツ選手やプロのスポーツチームをサポートするマネージメント会社をもっていまして、その仕事の中でパラリンピックのスキーのナショナルチームの仕事をしたんですね。

その仕事の中で、アルペンスキーとは、崖のような斜面に刺さっている旗の間を縫って滑る競技ですが、それを目が見えない人がやるんですね。それを見てすごく驚いたわけです。

目が見えないのにどうやって滑るのかって。実際にはガイドという役割の人と一緒に滑っていて、ガイドの声の合図、例えば右とか左とかの声を頼りに滑るんですが、

斜面は断崖絶壁でデコボコもしているし、スピードも出ます。右左だけ言われてもどうにもならないんですね。

そこを全盲の人が滑り降りるんです。僕は彼ら彼女らが実際にどのように滑っているのか分からないのですが、失われた視力を補うために、別の器官や感覚がそれを補うわけです。

例えば聴覚が非常に発達するとか、肌の感覚が鋭敏になるとか、他にもきっとあるんだと思うのですが、そのように人間の身体には失った機能を補う能力があるという事なんです。

自動車レースでいえば、一番大事な感覚といえばお尻の感覚です。自動車ってお尻で走るんですよ。

走っているある瞬間に、自動車にどんな力がかかっているのかを知るにはお尻の感覚が全てです。

でも、例えば両足がマヒして車いすに乗る人はお尻の感覚も麻痺している。そうなると、サーキットでレースをする体では本来ないわけです。

しかし、失われたお尻の感覚を別の器官が補ってくれるのなら、両下肢障害であっても十分レースで戦うことが出来る。

例えばそれは背中かも知れないし、頭かも知れない。

そう考えたのがこの活動のきっかけです。そして色々調べてみると、レースをしたいという障害者が少なからず存在することを知りましたが、

障害者を走らせてくれるサーキットがこの国にはなく、皆途方に暮れていました。。つまり、障害者お断りだったんですね。。

そこで私は、それなら自分がサーキット全体を貸し切って、障害のある人に走ってもらおう、と考えたのが会のスタート地点です。

サーキットを借りる際に、サーキット側からきつく言われたことを今でも忘れません。「全ての責任はあなたにあります」と。

そう言われると普通は足がすくみますね。万が一のことが起きたら自分が責任を負わなければならない。参加者は障害者なのでリスクは健常者より高いのです。

それでも結局やりました。多分若かったからだろうと思います。

私は今60歳ですが、今そのようなことを思いついてサーキットを貸し切ってイベントが出来るかと問われれば、多分しないと思います。

つまりこの会の活動は、偶然、私が無謀な若者であったことや、たまたま近くに応援してくれる人がいたこと、さらに今よりは多少景気も良かったなどの偶然が重なり合った結果だと思っています。。

具体的には2006年に半日だけ貸し切って、テスト大会を開きましたが、参加者が3人しかいなくて、とても困りました。

なにせ参加費は一人15000円でしたが、貸し切り代が30万円もしたのです。

それで結構凹みまして、止めた方がいいんじゃないかと思ったりしまして迷いましたが、もう一回だけやってみようと2007年の12月に本大会を開催しました。

この時は17人が集まり応援してくれる企業もありましたので、コース代の支払いも何とかなって、その後は毎年イベントと称してサーキットを貸し切って障害のある人に走ってもらいました。

このイベントは2017年まで継続しましたが、最後のイベントには何と900名を超える入場者が来てくれたのです。

その後、この期間に知り合った障害者の中から有志を募って、本格的なレース参戦に挑戦した、という次第です。

司会者 

普通に考えて大変なのはまずは車を改造しなければいけないですよね?

佐藤 

特に耐久レースというのは、一台の車をタスキ代わりにして、何人ものドライバーが交代しながら車をつないでゆく駅伝のような競技ですが、

うちのドライバーは足に不自由がある人もいれば、右手が不自由な人もいるし、左手が不自由な人もいるし、義足とか義手の人もいるので、

それぞれ異なる障害であっても自動車レースという場で迅速で的確な操作が出来るような、ハードウェアとして、道具としてのハンドルやペダルやスイッチの改造は必要ですし、

それをドライバー個人に合わせて特注したものを、さらに試行錯誤しながら調整して毎回レースに出ています。

ただ、何でも道具で補っていいのか?という問題もあります。モータースポーツは自動車という道具を使うスポーツですから、道具に依存する体質をそもそも持っているカテゴリーなんですね。

だから速く走りたいなら自動車の性能を改造するという選択肢に走りがちです。

例えばハンドルが重いから軽くしてほしいとか、そういう要望がドライバーから来ます。

やろうと思えばやれない改造ではありませんが、しかし、やはりスポーツですから、

出来るだけ自力でやれるところは自力でやってもらうことが大事ですし、自動車をいじるより先に自分の身体を強化する姿勢というのも重要です。

司会者 

お話を聞いていて車の中がどうなっているのか気になりますよね。

先日バリアフリーレーシングカーを見に行ってきたのでこちらをご覧ください。

司会者 

こちらの車は障害がある方でも乗ることが出来る車なのですね。

佐藤 

そうです。足に障害があってクラッチペダルが踏めないとなると、マニュアル車が運転できないのですが、シフトチェンジを油圧で自動化してくれるシステムがこの車には元々付いていて、日本車では珍しいのですが、そういう理由があってこのトヨタのMR-Sという車を改造して、身体に障害がある人にレースに出場してもらおうというプロジェクトが、うちの活動になります。

司会者 

実際に障害のある方はどうやって運転しているのでしょうか?

佐藤 

まず、足が動かないとペダルが踏めませんよね。そういう人のためにここにレバーが付いていて、このレバーを左手で引っ張るとアクセルペダルが動き、前に押すとブレーキがかかるようになっています。

司会者 

シフトチェンジはどうするのでしょうか?

佐藤 

問題になるシフトチェンジは、ハンドルにアップダウンのスイッチがあって、アップを押せば1速2速とあがってゆくし、ダウンを押せば5速4速と落ちてゆきます。

それは電気的に制御されていて、油圧のポンプとアクチュエーターで動かす仕組みです。

また、ハンドルについては、右手だけや左手だけしか動かない、つまり片手で運転しなければならないドライバーもいますので、

旋回ノブを脱着式にしていて、ドライバーの交代時にも素早く交換できるようになっています。

また、ライトや無線機、シフトチェンジやウィンカー等のスイッチも、左右どちらの手でも操作できるようにスイッチを配置しています。

通常、街中で障害がある人が運転する場合は、運転手はオーナー一人だけですので、ドライバー個人の障害に合わせた改造をすればよいのですが、

この車は先ほど言ったように様々に障害の部位が異なる複数のドライバーが運転する車であることが、最大の特徴となっています。

司会者 

ところでエンジンはどうなっているのでしょうか?

佐藤 

エンジンはJAFのN1というカテゴリーのルールに則って作ってありますので、基本的にノーマル、つまり売っているままの状態とかわりませんが、1年に1,2度オーバーホールという、エンジンを全分解してメンテナンスをしています。

司会者 

いやあ、すごい車でしたね。ここにあるんですがハンドルのノブ一つとってもいろいろな形があるんですねえ。

佐藤 

そうですね。よく見るのはフォークリフトなどについている丸いボールのような形のノブですが、それ以外にもドライバーの身体の状態によってさまざまな形状があります。

特にハンドルを持った時の手首の位置が重要で、通常健常者がハンドル握ると手の甲がハンドルの外側に向かいますよね。

でもこのノブを掴むと手の甲はドライバー本人の方へ向かいます。

また、他のノブを使うことで、健常者と同じようにハンドルの外側に手の甲を向けることもできます。

このようにハンドルをどう持つかは非常に重要で、手の甲がどの位置に来るかでハンドルを回す腕の筋肉の使う部位が変わるんですね。

ドライバーの身体の状況を鑑みて、手首の向きを調整するわけです。

自動車レースでは、街中を走るようにただ回せばいいってもんじゃないわけです。微妙なハンドルさばきがタイムに影響を与えます。

特に旋回グリップは、ハンドルを大きく回すには適しています。例えば車庫入れなどの場面です。

他方で微妙なハンドルさばきや、カウンターと呼ばれる、後輪が横滑りした時の受け身の様な操作ですが、その様なシチュエーションでは不利に働きます。

特に球型をした旋回グリップは回すには便利なのですが、丁度いいところで止めるのが苦手です。

これは旋回装置自体が問題ではなく、手首の位置の問題ですが、レースでは基本的に旋回装置は使わないことをお勧めしています。レースでは車庫入れは不要ですから(笑)

しかし、慣れの問題もあって中には旋回装置を使う人もいます。

司会者 

実際に参加しているドライバーはやはり過去にレース経験のある方が多いのですか?

佐藤 

そうです。ほとんどの方が健常な頃にレース経験のあった方です。

何故かというと、自動車のレースは本当に危険が伴うスポーツなんですね。

事故や火災は日常的に起こります。そういう時にきちんと対処できるような経験値がドライバーには必要です。

火災などが起きれば緊急事態ですが、そういう時でも冷静に適切な対処ができる人でないとレースには出られません。

うちのドライバーもほとんどが自動車レースやバイクレースの経験者で、障害を負ってしまったけれど、もう一度サーキットに戻りたいという夢を持っている人たちです。

司会者 

私は実際にドライバーシートに座らせてももらいました。

司会者 

すごく狭いですねえ。あと視界もだいぶ低くなるので、いつもの車とは全く違う感じになりますね。

佐藤 

一番大事なのはレースってぶつかって火が付いたりするんですね。

そしてそういう時にドライバーは自力で車外へ脱出しなければならないのです。

それは自分でやってもらう他ないんです。

火が付いた車に消火器をかけてくれる人はいますが、脱出するのを助けてくれる人はいません。

自動車がぶつかると車体が歪むので、ドアを開けて出ることが出来ない場合もあります。

そういう時は車内に置いてある緊急脱出用のハンマーで窓ガラスを割って、窓から這い出てきてもらうほかありません。

足が全く動かか無い人が運転席の窓によじ登って、外へ出るというのは簡単ではありません。

でも、それが出来ない人は残念ですがレースに出ることは出来ません。

僕らのドライバーも車外への脱出が出来る身体状態を維持するため、日々ジムに通ってトレーニングしています。

司会者 

すごい車ですねえ。障害を負ってもうできないと思っていた人が、もう一度出来るように、佐藤さんがしてあげたんですものね。

佐藤 

はい。確かにそうです。この話をするといつもみなさんから素晴らしい活動ですねと言ってくれます。しかし、私自身は必ずしも素晴らしいとは考えていません。

司会者 

それはどういうことですか?

佐藤 

はい。私はよく他人から良いことをしていると褒められます。褒められるのは嬉しいのですが、私自身は常に葛藤の中に居ます。

その理由はいくつかありますが、まずは死と隣り合わせの世界に他人を巻き込むこと自体の罪悪感です。

今まで死人やけが人を出したことはありませんが、何時起きても不思議ではないのですね。もし万が一そうなった時、私は間違いなくこの活動をしたことを後悔すると思います。

それから障害者の自動車依存を強化してしまうという問題もあります。

障害者にとって自動車を運転することが出来れば、その後の人生を大きく転換させることが出来るのは確かなことですが、それは期間限定だという現実です。

今、高齢ドライバーの事故が社会問題になっていますが、今の世の中、死ぬまで運転を続けるなどという事は不可能なことなのです。いつか運転を止める決断をする日が誰にでも来ます。

健常な高齢者であれば運転を止めても電車やバスを使えるでしょうけれど、運転をする障害者は運転での移動にどっぷり浸かってしまう傾向が強い。

つまり、運転を止めたり返納することが出来ない程、自動車に依存してしまうんです。

これは、はっきり言って悲劇だと思います。

そしてもうひとつは、人間が他人に対して善いことをしてあげる。という考え方自体に疑問を感じます。

なぜなら、人間には何が善くて何が悪いのかが分からないからです。

私はこの話をするときにいつも戦争の話を出します。

戦争とは本当に悲惨なものです。外部からみれば双方の当事者が悪に見えますし、片方が善でもう片方が悪に見えるかも知れません。

しかし当事者は双方ともに自分は良いことをしていると考えているのですね。そしてその考え方にも一理ある。と私は思います。

つまり、人間には何が善で何が悪なのか分からないのです。

分からない以上、私が良いことをしていると言われても素直には喜べません。

あくまで私見ですが、皆さんが誰かから、「あなたに善いことをしてあげますよ」と言われたら、それは騙されていると考えた方が良いです。

繰り返しになりますが、人間には何が善くて何が悪いのかわからないのです。

だから私はこの活動をしながらいつも自問します。

「自分は何のためにしているのか?」最初に決意したその理由について考え続けることが、他人をサポートしたり、支援をするという立場の全ての人に必要なことだと思います。

そのように自問し続けないと酷いことになるのです。例えば自分は何か良いことを他人にしてあげている、などと傲慢に陥ったり、本来の目的を見失って、あらぬ方向に活動が展開されてしまいます。

例えば耐久レースで一儲けしようとか、本来の目的とは全く異なる方向に、進んでいってしまい、当初想定していた益をはるかに超える不利益が生じます。

そうであるならば、なぜおまえはし続けるのか?という疑問がわいてきます。他人からもそう見えるに違いない。

単なる自己満足でやってるんでしょ、と揶揄されることも多々あります。

そしてそのような問いかけに、私自身は明確な答えを持っていません。

こういうボランティア活動は、主催者の単なる自己満足と批判を受けることが多々ありますが、自己満足と利他は表裏一体で中々区別することができません。

表面的に自己満足と利他は違いがないのです。自分自身でさえ区別することは難しい。

自己満足のつもりでなくても、知らぬ間に自己満足が自己目的化してしまう。

利他から自己満足へは簡単に移動可能なのです。だからこそ問い続けることが必要なのです。

ノーベル平和賞をもらったアルベルトシュバイツアーという人がこういうことを言っているのですね。

「疚しくない良心などは悪魔の発明である」とね。

わたしはいつもこの言葉と共に活動しています。

司会者 

なるほどねえ。ところで、レースですからぶつかっちゃうこともあるでしょうけど、直すのも大変じゃないですか?

佐藤 

レースなので事故は避けられません。しかし、私たちのチームはスポンサーからの支援で成り立っているんですね。

だから、全損になったから次回のレースには出られませんとは言えないのです。もしレースで全損の事故に遭ったとしても、すぐに新しい車を用意して次のレースに間に合わせます。

もちろん費用という点からドライバーが負担できる金額ではありませんので、仕方なく私の財布から出すことも間々あります。

つまり、何時も赤字だということです(笑)

司会者 

健常者の方と一緒に競争するということですが、障害のある人たちにとってハンデになってしまう部分はないのですか?

佐藤

たくさんあります。一番のハンデはドライバー交代です。車いすで暮らすドライバーは自動車への乗降に時間がかかります。健常なら1分で交代できるところ、我々は5分くらいかかります。

ドライバー交代は12時間レースなら13回あるんですね。一回当たり4分のハンデがあれば×13回で約1時間余分に停車しなければならないわけです。

それ以外に運転という観点から言うと、ブレーキの踏力が足で踏むのと手で押すのでは力に相当の差が生まれる。

つまりブレーキをかける距離がおのずと長くなってしまって、そこで追い抜かれてしまうわけです。

また、どうしても車の挙動を体全体で掴むのが苦手ですし、片手ハンドルで高度なハンドル操作を行うのは至難の業ですので、

大きな挙動変化を起こさないような車両セッティングにならざるを得ません。

これはなるべくスピンしないような車のことですが、それはつまり車が遅くなることを意味します。

司会者

佐藤さんとしてどうですか?レースに送り出すときの気持ちって

佐藤 

レース前に車は一旦バラバラに解体して、メンテナンスをした上で組み立てますが、ネジが何百個もあるんですね。

私も人間ですから、たまにはねじを締め忘れていることがあるかもしれないのです。

だから、走りだす前は本当に心配です。

胃が痛くなるというか。

しかし私は監督ですからチームを奮い立たせたり、和やかにしたりしなければならないので、大体現場ではへらへら笑っていますが、実は心の中ではちっとも笑ってはいません。

スタート前はとにかく無事を祈るだけで、赤ん坊が生まれてくるのを病院の待合室で待つ父親と同じ気持ちになります。

あとはドライバーたちが十分レースを満喫してもらえるよう、完走を目差すだけです。

私たちは健常者の人たちに勝つとかそんな野心は持っていないのです。

健常者に勝つなどは、簡単に口に出せるほど生易しいものでないことを十分知っています。

私らはそこを狙っているわけではなくて、少なくとも参加したドライバーに、大きな怪我や病気を経験してひどい目に遭ったけれど、ようやく元の場所に戻ってこられた、と感じて喜んで欲しいだけです。

中には涙を流しながら運転しているドライバーもいたりします。

司会者

勝ちを目指さないスポーツってあるんですか?

佐藤

それは重要なテーマですね。私もこの活動を始めた当初はそう思っていました。だからドライバーがコース上でスピンしたり、タイムが思うように出ないと頭に来たりしたんです。

「なんで遅いんだよ」と、声には出しませんが、そう思ったりしたんです。

大体のスポーツがみな同じですが、競技結果が悪くなれば応援してくれる人も減るし、手伝いに来てくれる人も減ります。

そしてスタッフのモチベーションも下がって、結局途中でやめざるを得なくなるってことになりがちなんです。

そういう意味でも結果を出すというのは活動を継続させるためにも重要なファクターなんですね。

だから、参戦当初は何とか結果を、と焦っていたと思います。

でもある時、自問したことがあるのです。「スポーツとはそもそも何なのか?」と。

で、調べてみるとスポーツという言葉の語源がラテン語のデポルターレであることが分かりました。

この言葉の意味は運ぶとか荷を下ろす、という意味なのですが、それが転じて、日常で積み重なってゆく重荷を降ろす、という意味になり、

スポーツとは、そのように日常の暮らしで背負う重荷を降ろすことであると知ったのです。

そもそもスポーツとは競争でもないし、勝ち負けでもない。そう分かった時、どうして障害のあるドライバーが大変な思いをしてレースに出たいと思うのか分かった気がしたのです。

障害のある人は、健常者の僕らよりも、多くの重荷を日常生活で負っているはずです。

ドライバーはその荷物を降ろしにここへやってきている。

そう考えた時、私の追い詰められた気持ちやイライラが解放され、勝ち負けではなく、いかにドライバーに運転を満喫してもらえるかだけを考えてレースをするになったのです。

司会者 

レースの前って、ドライバーやスタッフ、メカニックのみんなと一体になったような感じになりますよね。

佐藤 

モータースポーツはよくドライバーの戦い、つまり個人戦だと思われる方がいらっしゃいますが、実は完全なチーム戦です。

特に私らが参加している耐久レースはチーム戦です。

ドライバーだけでなく、スタッフ、メカニック、監督も含めて一致協力して取り組まないとよい結果が出ません。

このレースでは、健常者は与える側の人で、障害者は与えられる側の人、という関係は成立しません。障害のある人も、出来る範囲で健常者を助ける側になってもらう必要があるのです。

また、ドライバー自身も自分だけが楽しく運転できればいいや、などと考えて運転したら、ぶつかったりして次のドライバーにつながらない。

つまり一致協力するという事は、障害の有無を超えて、他者を思いやるってことなんです。

しかし、健常者と障害者が一致協力して一つも目的を達成するのは本当に難しい。

色々な問題が噴出するということを、私はさんざん経験してきました。

しかし、実った時には本当に良い結果が出る。

良い結果とは、良い順位ではなく一体感です。

レースに限らず日常生活や仕事などの中でも、障害のある人との協力が必要不可欠になる時代が来ています。

私がこの活動で一番学んだことは、障害がある人と共に生きる社会は十分達成可能なのだと気づいた点です。

皆さんにも、その点を感じて頂ければ嬉しいと思います。

司会者 

佐藤さんのチームは今年の冬にもレースがあるんですよね。

佐藤 

はい。12月に3時間の耐久レースがあります。今度は寒いので、寒いと寒いなりに大変なのですが、頑張って完走したいと思います。

司会者 

今日はお話を聞かせて頂きありがとうございました。今回は日本障害者モータースポーツ協会の会長、佐藤正樹さんのお話を伺いました。ありがとうございました。

*本編の動画をご視聴はこちらからどうぞ